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千葉地方裁判所 平成4年(行ウ)2号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

小川彰

島﨑克美

髙綱剛

齋藤和紀

右小川彰訴訟復代理人弁護士

山村清治

被告

地方公務員災害補償基金千葉県支部長沼田武

右訴訟代理人弁護士

橋本勇

石川泰三

岡田暢雄

滝田裕

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が平成元年一二月一八日付けで原告に対してした原告の亡夫甲野太郎にかかる地方公務員災害補償法の規定による公務外認定処分を取り消す。

第二事案の概要

一  原告の主張

1  事故の発生

原告の亡夫甲野太郎(以下「甲野」という。)は、千葉市立松ケ丘中学校の校長であったが、昭和六三年六月二〇日午前一一時頃、教育用務連絡のために訪れた同市立緑町小学校から右松ケ丘中学校に戻る途中、普通乗用自動車(以下「本件自動車」という。)を運転して、千葉市稲毛区緑町(編集部注=略)先道路を時速約二〇ないし三〇キロメートルで走行中、突然進路の直前に自転車に乗った二〇歳位の精神薄弱の青年が左方から飛び出してきたため、これを避けようとして咄嗟にハンドルを左に切ったが、その際自車を高さ約三〇センチメートルの歩道縁石に乗り上げさせ、更にそのまま約一〇メートル進行させ、自車を京成みどり台駅のコンクリート製防護柵に衝突させて停止したが、これらの際に頭頚部挫傷の傷害を負い、その頃死亡するに至った。

2  死因

(一) 甲野は、右の頭頚部挫傷の傷害によるショックが原因となって心停止を来し、死亡するに至った。甲野に急性心筋梗塞は発生していない。

(二) 仮に甲野に急性心筋梗塞が発生し、甲野がこれによって死亡したとしても、

(1) 右急性心筋梗塞は、甲野において、自車を高さ約三〇センチメートルの歩道縁石に乗り上げさせてこれをそのまま進行させ、京成みどり台駅のコンクリート製防護柵に衝突させた際、これらによって頭頚部挫傷によるショックを生じさせまたは精神的混乱によるストレスを生じさせ、これを誘因(引き金)として急性心筋梗塞を発生させたものである。

(2) 仮に然らずとするも、右急性心筋梗塞は、甲野において自車の目前に突然自転車に乗った二〇歳位の精神薄弱の青年が現れたため、これを避けようとして咄嗟にハンドルを左に切った際、これによって極度の精神的ストレスを生じさせ、これを誘因(引き金)として急性心筋梗塞を発生させたものである。

(三) したがって、死因がいずれであるにせよ、甲野の死亡は公務に起因するものである。

3(一)  原告は甲野の妻であるが、昭和六三年一〇月二七日、夫甲野の死亡につき、被告に対し、地方公務員災害補償法に基づき公務災害の認定を請求したところ、被告は、平成元年一二月一八日付けで、甲野の死亡を公務外の災害と認定する旨の処分(以下「本件処分」という。)をし、その旨を原告に通知した。

(二)  原告は、平成二年二月二日、本件処分を不服として地方公務員災害補償基金千葉県支部審査会に審査請求をしたが、同支部審査会は、同年一二月一七日付けで、右審査請求を棄却する旨の裁決をし、その旨を原告に通知した。

(三)  原告は、平成三年一月一八日、右裁決を不服として地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが、同審査会は、同年一〇月三〇日付けで、右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、その旨を原告に通知した。

二  被告の主張

1  甲野の死因は急性心筋梗塞である。そして、その発生の時期は、本件自動車が左方向に進行を開始した時より前である。すなわち、甲野は、もともと心筋梗塞発生の高度の素因を有していたところ、たまたま本件自動車を運転中に心筋梗塞が発生したため、運転の自由を失い、ハンドルにもたれかかり、ハンドルが左にきれた状態となって、自車を高さ約三〇センチメートルの歩道縁石に乗り上げさせ、更にそのまま約一〇メートル進行させて、自車を京成みどり台駅のコンクリート製防護柵に衝突させ、その頃死亡するに至ったものである。心筋梗塞は特別の誘引(引き金)がなくてもいつでもどこでも発生し得るものである。

2  したがって、甲野の死亡は地方公務員災害補償法所定の公務上の災害には当たらないから、本件処分は適法である。

第三当裁判所の判断

一  認定

1  本件事故の発生等について

証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 甲野(昭和八年一月生)は、昭和三〇年一一月千葉県下の中学校教諭として採用され、昭和六二年四月から千葉市立松ケ丘中学校の校長の職にあった。

(二) 甲野は、昭和六三年六月二〇日午前七時三〇分頃松ケ丘中学校に出勤し、同日午前九時五分頃、教育用務連絡のため、普通乗用自動車(〈編集部注=略〉)(本件自動車)を運転して千葉市立緑町中学校に向かい、その後、同市立みつわ台中学校及び同市立緑町小学校を順次訪れた後、同日午前一〇時五七分頃、自校に戻るために右緑町小学校を出発した。

(三) 甲野は、同日午前一一時頃、シートベルトを着用して、千葉市稲毛区緑町(編集部注=略)先道路(片側一車線)を幸町方向から京成電鉄みどり台駅一号踏切方向に向けて走行中(当時、本件自動車にハンドルやブレーキ等の異常はなかった。)、別紙交通事故現場見取図(編集部注=略、以下同じ)記載の〈1〉点に至る直前において突如激しい心筋梗塞に見舞われ(急性心筋梗塞)、そのため意識を失って運転の継続が不可能となり、本件自動車は、〈2〉点付近から左斜め前方に進み、同図の「縁石(高さ0.3)」と記載された点付近で高さ約三〇センチメートルの歩道縁石に乗り上げ、そのまま歩道を斜めに横切る形で進んで、〈3〉点で京成みどり台駅のコンクリート製防護柵にその右前部を衝突させて停止した(以下、右〈2〉点から〈3〉点に至るまでを「本件事故」という。)。

(四) 甲野は、本件事故直後しばらくの間は息をしていたが意識はなく、同日午前一一時一八分頃に救急車が到着した際には、既に呼吸も心臓も停止していた。

2  甲野の既往歴等について

証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、次の事実が認められる。

(一) 甲野は、本件事故の約七か月前である昭和六二年一一月一二日(当時五四歳)、松ケ丘中学校の校内研究授業を参観中、激しく咳込み、かなり咳をした後、意識を失って前のめりに椅子から倒れ、床に顔面を打ちつけて鼻血を出し、意識は間もなく回復したものの、救急車で蘇我病院に運ばれ、同病院で測定された血圧は最高二一〇・最低一三〇であった。甲野は、同月一四日まで三日間同病院に入院したが、糖尿病と診断された以外に特に異常はなく、退院後、同月一六日と同月二〇日に同病院に通院した。

甲野を診察した小林康郎医師は、右の発作について、「高血圧症と糖尿病に基因した動脈硬化症による一過性脳虚血発作」と診断した。一過性脳虚血発作とは、頸部動脈あるいは脳動脈に動脈硬化があり、これによって脳血流障害を来すものである。したがって、甲野に冠動脈の硬化性狭窄病変がある確率は一過性脳虚血発作をみない者より高く、更に、甲野に高血圧と糖尿病があることを考えると、通常の健康人と比較しても、かなり高率に冠動脈の硬化性狭窄病変が存在する可能性がある(〈証拠略〉)。

(二) 甲野は、右の発作を契機として喫煙を控えていたが、本件事故当時、五五歳で、身長約一七一センチメートル、体重約七五キログラムであり、肥満傾向にあって、本件事故の一七日前の昭和六三年六月三日の健康診断で測定された血圧は、最高が一五〇・最低が八〇であった。

3  心筋梗塞について

心筋梗塞は、心臓に栄養を送っている冠動脈の内腔の閉塞によって血流が途絶し、心筋の壊死を生じた状態をいうものであり、冠動脈の内腔の閉塞は、冠動脈の内側が動脈硬化を起こして内腔が狭窄しているところに血栓が付着して生ずるものである。そして、その血栓は、冠動脈の内側の動脈硬化部に生じたプラークの破裂によって生ずるものであるが、その破裂を引き起こす誘引(引き金)となるものについては、外部的刺激によるストレスがプラーク破裂の重要な誘引(引き金)となるという考えと(〈証拠略〉)、外部的刺激によるストレスはプラークの破裂にほとんど関係がないという考えとがある(〈証拠・人証略〉)。いずれにしても、外部的刺激がない場合にもプラークの破裂が起こることは両説の一致して認めるところである。

4  甲野の死因等について

証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 甲野は、本件事故直後の昭和六三年六月二〇日午前一一時二七分頃、稲毛病院に搬入されたが、同病院長樋上駿医師ほか二名の医師による各種の蘇生術に全く反応せず、同日午後〇時頃その死亡が確認された。

樋上医師らは、甲野の死体検案等を行なったが、甲野の体に皮下出血等の外傷はなく、左記理由により、甲野の死因を急激な心筋梗塞と判断し、樋上医師において甲野の死因を「急性心筋梗塞による急性心不全」とする死体検案書(〈証拠略〉)を作成した。

(1) 甲野の死体にそれ自体で死に至るような外傷がないことからすれば、甲野にはその死亡前に脳ないし心臓に、瞬間的にまたは数分以内に死に至る程の激しい発作が生じた可能性が大である。

(2) そして、甲野が蘇生術に全く反応しなかったこと、後頭下穿刺により採取した髄液に血液の混入がなかったことからすれば、甲野は、脳の発作ではなく激しい心筋梗塞等の心臓の発作により死亡した可能性が大である。

(二) ところが、樋上医師は、その約三か月後の昭和六三年九月二一日頃、原告とその子供の訪問を受け、同人らから告げられたことを考慮して、左記理由により、甲野はその頭頚部に受けた挫傷が誘因(引き金)となって心筋梗塞等の心臓発作を引き起こし、これにより死亡するに至ったものと考え、原告及び子供の依頼により、「甲野の直接死因を頭頚部挫傷と訂正する。」旨の千葉市長宛の申述書(〈証拠略〉)を作成するとともに、甲野の死因を「交通事故による頭頚部挫傷」とする死体検案書(〈証拠略〉)を新たに作成した。

(1) 本件事故の二日後の葬儀の際に甲野の遺体の左後頚部から左肩部にかけて皮下出血痕があったというのであれば、甲野は後頚部を車の座席の枕に打ちつけて頭頚部挫傷の傷害を負ったものと考えられる。

(2) そうとすれば、それが誘因(引き金)となって心筋梗塞等の心臓発作が生じたと考えるのが妥当である。(甲野が本件事故直後において運転席で微かに呼吸をしていたというのであれば、その時点ではまだ心肺機能は残っていたのであり、そうとすれば、本件事故後に心筋梗塞等の心臓発作が生じたと考えるのが妥当である。)。

以上の事実が認められる。

二  右認定について

1  本件事故の発生原因について

原告は、「甲野は、本件自動車を運転して、時速約二〇ないし三〇キロメートルで走行中、突然進路の直前に自転車に乗った二〇歳位の精神薄弱の青年が左方から飛び出してきたため、これを避けようとして咄嗟にハンドルを左に切ったが、その際自車を高さ約三〇センチメートルの歩道縁石に乗り上げさせ、更にそのまま約一〇メートル進行させ、自車を京成みどり台駅のコンクリート製防護柵に衝突させて停止した。」旨を主張する。

たしかに、(人証略)は、「本件事故の直後に、自転車に乗った青年が事故現場付近で「自動車が怖い。」、「もう少しで殺されそうだった。」旨を述べていた。」旨証言している。

しかし、別紙交通事故現場見取図記載の〈2〉地点付近に急ブレーキ痕はなく、また、(人証略)も急ブレーキ音を聞いておらず、そして、(人証略)の各証言によれば、右青年は本件事故の際には右〈2〉点よりもむしろ〈3〉点に近い位置にいたと推認されるのであって、そうとすれば、前記証言によって直ちに自転車に乗った精神薄弱の青年が突然本件自動車の進路前方に飛び出したと認めるのは困難というべきであって、原告の右主張はにわかに採用することができないものというべきである。

2  死因について

原告は、まず主位的に、「甲野は頭頚部挫傷の傷害を受け、これによるショックを原因として心停止を来し、死亡するに至ったものである。」旨を主張する。

しかし、(人証略)も、甲野の死因は急性心筋梗塞である旨を一致して証言しているところであって、原告の右主張を認めるに足る証拠はない。

3  急性心筋梗塞の発生時期について

(一)(1) 原告は、予備的に、「仮に甲野の死因が急性心筋梗塞であったとしても、甲野は、本件自動車を高さ約三〇センチメートルの歩道縁石に乗り上げさせてこれをそのまま進行させ、京成みどり台駅のコンクリート製防護柵に衝突させた際、これらによって頭頚部挫傷によるショックを生じさせまたは精神的混乱によるストレスを生じさせ、これを誘因(引き金)として急性心筋梗塞を発生させたものである。」旨を主張する。

(2) しかし、甲野は別紙交通事故現場見取図記載の〈1〉点付近で既に運転席に座ったままの状態で首をたれていたと認められ(〈証拠略〉)(この認定に反する〈人証略〉の証言はにわかに措信し難い。)、そして、前記認定のとおり、本件自動車は〈2〉点付近から左斜め前方に進み、高さ約三〇センチメートルの歩道縁石に乗り上げてそのまま歩道を斜めに横切る形で進んで、〈3〉点で京成みどり台駅のコンクリート製防護柵に右前部を衝突させて停止したものであって、この間、甲野が〈2〉点付近から〈3〉点に至るまでの間にブレーキをかけた形跡はなく、これに、前記認定にかかる甲野の既往歴を併せ考えると、甲野は右〈1〉点に至る直前において突如激しい心筋梗塞に襲われ(急性心筋梗塞)、意識を失って運転ができない状態となり、その後何らかの原因によってハンドルが左にきれたため(例えば、甲野の体が左に傾いた際にハンドルも左にきれた等)、本件自動車は右〈2〉点付近から左斜め前方に進み始めたものと認定するのが最も自然でありかつ合理的である。

(3) これに対して、樋上医師は、前記一4(二)記載のとおり、「〈1〉本件事故の二日後の葬儀の際に甲野の遺体の左後頚部から左肩部にかけて皮下出血痕があったというのであれば、甲野は後頚部を車の座席の枕に打ちつけて頭頚部挫傷の傷害を負ったものと考えられ、〈2〉そして、甲野が本件事故直後において運転席で微かに呼吸をしていたというのであれば、その時点ではまだ心肺機能は停止していなかったであろうから、甲野は、頭頚部挫傷を誘因(引き金)として心筋梗塞等の心臓発作を引き起こした可能性が大きい。」とし、昭和六三年九月二一日付けの「甲野の直接死因を頭頚部挫傷と訂正する。」旨の千葉市長宛の申述書(〈証拠略〉)を作成するとともに、甲野の死因を「交通事故による頭頚部挫傷」とする死体検案書(〈証拠略〉)を作成している。

(4) しかし、前記のとおり、甲野は別紙交通事故現場見取図記載の〈1〉点付近で既に運転席に座ったままの状態で首をたれていたのであり、また、〈2〉点付近から本件自動車が歩道縁石に乗り上げるまでの間に甲野がブレーキをかけた形跡は全くなく、更に、心筋梗塞は、外部的刺激によるストレスの生じたときの方がより発生しやすいとしても、外部的刺激によるストレスがなければ発生しないというわけではないこと、心筋梗塞が生じても必ずしもすぐには心肺機能は停止しないこと、等を考慮すると、やはり、前記(2)に述べたとおり、甲野は右〈1〉点に至る直前において突如激しい心筋梗塞に襲われたものと認定するのが自然であり相当である。樋上医師作成にかかる死体検案書の内、前記一4(一)記載の死体検案書(〈証拠略〉)こそ正しいものと認むべきである。もっとも、樋上医師自身も、心筋梗塞が先に生じてその後に本件事故が発生した可能性を否定できないと証言しており、また、平成元年三月三日付けの同医師の被告に対する回答書(〈証拠略〉)にも、「甲野さんの場合、事故発生と何らかの発作が短時間内に連続的におこったと考えられました。どちらが先におこったかということですが、第一は、まず何らかのおおきな発作が発生し、続いて事故が生じた、ということであります。第二は、事故によっておこった項部挫傷などが原因となり、大きな発作を誘発した、ということです。第一か第二を決める強い根拠はありませんが、第二をとりました。」と記載されているところである。

(5) 原告の前記主張は採用することができない。

(二) 原告は、また、「甲野は、本件自動車の直前に突然自転車に乗った二〇歳位の精神薄弱の青年が現れたため、これを避けようとして咄嗟にハンドルを左に切った際、これによって極度の精神的ストレスを生じさせ、これを誘因(引き金)として急性心筋梗塞を発生させたものである。」旨を主張する。

しかし、本件自動車の直前に突然自転車に乗った二〇歳位の精神薄弱の青年が現れた事実を認めることができないことは前記説示のとおりであるから、原告の右主張も採用することができない。

三  そして、甲野における本件心筋梗塞の発生とそれまでの同人の公務遂行との間にいわゆる相当因果関係を認めることも本件証拠上困難であるから、結局、甲野の死亡が公務に起因しないものと認めた本件処分は適法というべきである。

四  よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原田敏章 裁判官 木納敏和 裁判官有賀直樹は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 原田敏章)

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